Blindfold-奪う連中と密やかなる者たち------第一章──水の森

Blindfold-奪う連中と密やかなる者たち

第一章──水の森

 喋る犬リャンの話しを聞いたのは夜半過ぎのことだった。
「水の森にいる番犬リャンは、言葉を理解するのみにあらず、犬の喉で語ると噂されておりますが、ご存じで?」
 外套のフードを取ったシンが、わたしをじっと見ながら、そう囁くように言った。
 ここはわたしの部屋だ。天井から吊されたランプと、棚や台に置いてあるいくつかのランタンで明りを取っている。リビングとダイニングを兼ねており、中央には一枚板の大きなテーブルがある。そこへ、わたしと橋渡し人のシンが差し向かいで座っている。
 橋渡し人とは仕事を仲介する者を言う。シンはわたしに依頼するため訪ねてきた。人目を避けるために深夜の打ち合わせとなった。こんなことは初めてで、わたしは少し緊張している。
「ええ。でも、誰も聞いたことがないとも。ではその喋る犬を見ればよろしい?」
「そうです。アイラ様への依頼は番犬リャンを聞くことです」
 見ると言ったわたしに対して、シンは聞くと返した。
 盲目であるわたしは確かに見ることは出来ない。どうやって辺りを把握しているのかといえば特別な振動波だ。耳鼻で波長を捉え周囲を知る。だからシンは聞くと言うのだが、わたしにしてみれば物を見ている感覚だ。でも、そういった齟齬をいちいち追求する気にはならない。
「水の森は……拘束の森」
 わたしの呟きには憂鬱と不安が含まれていた。それを察したのか、シンは頷きながら先を続けた。
「そうですな。おまけに年中雨が降っていて、じめじめぬかるんだ実に辛気くさい森です。番犬も好きで森に居るのか、わかりゃしません」
 シンの顔の筋肉が、下卑た笑いを形作るのを見た。
 わたしは産まれて数時間後に、奪う連中によって目元から頭部、まだ固まらない柔らかな皮膚に布を覆われた。
 年を重ねるごとに目を覆うもの――Blindfold《ブラインドフォールド》は硬い材質になり、より強固に目元を隠す。それと共に新しい耳鼻機能が与えられた。
 全ての物は僅かな動きでもバイブレーションを引き起こしている。それら微かな揺れもわたしの耳は捉え、これによって動くものを聞いて見ることができる。建築物や家具などの動かないものは、耳鼻から振動波を出してスキャンニングする。匂いについては常人と変わらない。
 色や図柄は皮膚で捉える。これも与えられた能力だが、当然体のどこかに触れないとダメだ。場所によって感度が変わる。指が一番わかりやすい。
 反面、通り過ぎる風景は、わたしにとってモノクロの世界だ。生まれてすぐにそうされた分、不自由に思ったこともない。
 未だにわからないのは何故こんなことをするかだ。けれどこの素朴な疑問に答えてくれる人はいない。
「では支度が調い次第、わたしはその犬へ会いに行きましょう」
「ええ、ええ。連中へ引き受けなさったことを伝えます。ただ、水の森は今が一番の時期。雨季ですのでご注意を」
 一年中雨がやまないのに雨季があるとは驚きを隠せない。そんなわたしを気にせず、擦る音を立てながら机に用紙を広げた。
「出立なさる前にこの地図をよく触ってください。水の森は拘束の地、縛りの森。しかし今は束縛されるものはいないはずです。犬はさぞかし暇を持て余しているでしょう。まあそうはいっても、」
 そこで糸を鋏で切るように言葉を断ち切った。
「いえ、これ以上は無粋ですな。番犬を聞いてやってくださいまし」
 シンがどこまで知っているのか疑問が浮かぶのだが、問うたところで教えてくれるとも思えないし、そもそも質問へ至る会話の流れをすっぱり切ってしまう。とりつくしまもない。
「ではアイラ様、どうぞつつがなく……」
「ありがとう。だいぶ濃い夜だから、シンも気をつけて」
 シンは薄く頷いて、音を立てないようゆっくりした動作で部屋を後にした。それらの仕草が波動として伝わる。その微かな揺れが、わたしの世界を現す全てだった。
 ドアに鍵をかけてから、テービルに広げられた地図を、両の指で優しくさするように撫でていく。ゆっくりじっくり、インクの色と、色が乗っている僅かな盛り上がりが皮膚に染みこんで脳へ伝わる。
 地図を残していったことからもわかるように、わたしは水の森へ行ったことがない。それに水の森については、世間一般で流れている噂話ししか知らない。
 例えば、あまりに広いため全体を把握しているものは極々限られた人たちだけなこと、最深部にとてつもなく大きな、ゆうに樹齢千年は超える木があるということ、そしてその樹皮はガラスのように透明で、根が吸い上げる水の流れが見通せる、ということだ。
 しかし改めて並べると眉唾に思う。戯言ではないか。誰が見たというのだ、樹皮が透明の大木など――
 全ての指を地図から離した。余計な折り目を付けないよう、元からある折り目を慎重に沿って正しく畳んでいく。
 仕事でいくつか土地を巡ってきたとはいえ、初めて訪れる場所は緊張するものだ。それが拘束の地である水の森ともなれば、心が張り詰めるのも仕方ない。水の森は罪人を収監する場所だ。隣町の向こう側にある。時に誤って迷い込んだものでも、気に入れば執念深く離さない。シンが言っていた噂話しとは火の鳥が纏わる。森に閉じ込められ、雨に打たれ続けたせいで瀕死へ追い込まれたらしい。どうにか逃げおおせたが、あの火の鳥までがとみんな身震いした。水の森が忌み嫌われる本当の理由だ。
 ともあれ、行ってみなければ何もわからない。
 畳んだ地図をテーブルに置いたまま、旅支度に備えて早々に眠りに就いた。

 まだ暗いうちに起きて、霞がかかる頭をやり過ごしながらパンを焼いた。旅用のハードパンをいくつか、保存庫からチーズを数種類で多めに、甘味としてドライフルーツと、小さなガラス瓶に作り置きしていたベリージャムも用意する。焼き上がったパンを広げた布の上に並べたり、朝食をとったりしているうちに、明るくなった空から鳥の囀りが聞こえ始めた。
 この辺りは住人が少なく、日中でも静かなほうだ。耳で聞き見る生活なので、余計な音は出来るだけ少ない方がいい。喧噪の中から聞き分けなければいけない。呼吸するのと同じとはいえやはり疲れる。静かなほうが快適だ。
 水の森はきっと雨音で覆われているのだろう。降り続ける雨と濡れそぼる音、ぬかるむ道はわたしの足音もかき消しそうだ。
 人の言葉を話す犬とはどんな生き物か。それは犬と呼べるのか。
 少し癖のある小麦で作ったパンは、酸味が強く好みがわかれそうな味だった。食べ終えて片付けを終わらせると、買物袋を用意して黒の外套を羽織る。そしてローチェストの引き出しを開け、ひっそり並ぶBlindfoldを取り上げた。
 存在の証であるBlindfold――目を覆うもの――わたしという歴史を物語る、決して切り離せないアイテム。
 木製を選んで付け替える。かっちりしながらもどこかしなやかさがあるので木のBlindfoldが一番好きだ。中でもこれは木彫り職人が作った物で、蔦をモチーフにした透かし彫りが施されている。貰い物なのだが、この繊細で美しい彫りをとても気に入っている。
 フードを目深に被り鞄を抱える。扉を開けると微かに軋む音が立った。鍵をかけ、ノブをガチガチまわし、施錠されていることを確認してから部屋を後にした。
 とてもいい天気のようで暖かい。暑くなりそうだが、出来れば外套は脱ぎたくない。手早くすました方が良さそうだ。
 朝市はもう賑わい始めていた。早速めぼしい物を買っては袋へ詰めていく。食料品は備蓄があるからあまり必要ない。出来るだけ効率よく店をまわる。こういった人が集まる場所に長居したくない。Blindfoldは悪目立ちするのだ。
 最後に馬宿へ寄った。カウンターを探ってみると主人がいる。いつもと同じく無言で借札をカウンターに乗せる。この借札は奪う連中からの支給品だ。大抵の馬宿で見せれば、ツケで借りることができるので重宝している。
「馬は裏にいる」
 いつも主人は言葉少なく簡潔に言う。余計な話しをしなくてすむのは気が楽だ。
「明日からしばらく借りたい。戻りは未定」
「問題ない」
「ありがとう」
 礼を言って裏手に回ると、ちょうど馴染みの馬が残っていた。柵にかかっている木板には品種や性別など馬の情報が記されている。予約済みと書かれている裏面を表に向ければ、手続き完了だ。明日の出立時に引き取りに寄ればいい。
 他に忘れている用事はないか頭を巡らせる。特に思いつかないのでそろそろ戻ろうかと思った時、会いたくない人を見つけた。帽子と少し癖のある長い髪が特徴的だ。厩舎の向こう側の道路を堂々と歩いている。慌てて柱の陰に身を寄せた。まだわたしに気がついていないのが幸いだ。気づかれたらしばらく付き合わされるだろう。
 彼、キュモニナスは商家の息子で、わたしのBlindfoldが気になってしようがなく、一度でいいから少しでいいからBlindfoldを貸して欲しい、つけてみたいのだ、と顔を合わせるたびに言う。大切なBlindfoldに余計な手垢はつけたくない。何度断っても無邪気な笑顔でしつこく食い下がるから面倒で仕方ない。
 彼の姿が見えなくなるまでやり過ごしてから、足早に自宅へ向かった。

 部屋の扉を少し開け、滑り込むように中へ入り鍵をかける。鍵が落ちる重たい音にようやくホッとした。
 けれど人の気配を感じ愕然とする。ノブに手をかけたまま反射的に鼻から振動波を出し、ぐるりと部屋をスキャンニングした。
 椅子に座り、テーブルに頬杖をつく男がいる。両腕は筋肉で盛り上がり、鍛えられた体なのがわかる。そして顔全体を鳥型マスクで覆っていた。いくらスキャンしてもその下は伺えず血の気がひく。その気になれば内臓すら見えるのに──信じられない気持と焦りで、振向きざまに持っている荷物を落とした。
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